エドガー・ケイシー(294)の父方の祖母サラ・ケイシーと祖父トマス・ジェファーソン・ケイシー。ケイシーの地元ホプキンスビルに初めて写真館が出来た頃の1865年頃に撮られたものだと考えられている。ケイシーは幼児期から祖父になついていたが、ケイシーが4歳の時、落馬事故で祖父を目の前で亡くした。祖父はダウジングで水脈を見つけるなど、ある種の霊能力に恵まれていたらしい。祖父は60年後に、ケイシーの長男であるヒュー・リン・ケイシーの子供(2824)として生まれ変わった。つまり、エドガー・ケイシーにしてみれば、自分の祖父が自分の孫として生まれ変わったことになる。
エドガー・ケイシーの母親であるキャリー・エリザベス・ケイシー(3776)と父親のレスリー・バート・ケイシー(304)。農家の生まれであったが農業が性に合わず、先祖伝来の土地を担保に雑貨店などを営むがうまく行かず、家族はいろいろな困難に遭遇した。エドガー・ケイシーは高校1年で中退を余儀なくされ、家計を助けるために、ケイシーはさまざまな仕事に就いた。将来は牧師になるか医者になることが夢であったケイシーにとって、それは大きな挫折であった。
エドガー・ケイシーは18歳の時に知り合った3歳年下のガートルード・エバンス(538)と2年後の20歳の時に婚約する。この写真は婚約した頃の写真とされる。この頃よりケイシーは結婚資金を貯めるために仕事に精を出し始める。しかし、その過労がたたって、23歳の時に原因不明の失声症となり、医者からは不治を宣告される。父親が息子のために写真館の裏方の仕事を見つけてくる。以来、46歳になるまで写真業がケイシーの職業となる。そして声を失って1年後の24歳の時、催眠療法を試したことがきっかけで、驚異的な霊能力(リーディング)が目覚めることになる。
婚約して6年後の26歳の時に、ガートルードと結婚する。これらの写真は結婚間もない頃のものである。二人は霊能力(リーディング)とは無縁の場所で生活をしたいと望み、地元を離れて、知り合いのまったくいないボーリングリーンで新婚生活を始める。しかし、二人の望みもむなしく、すぐにケイシーの霊能力について周囲に知られるところとなり、いろいろな人々がケイシーのリーディングを求めるようになる。ケイシーはここで2軒の写真館を経営するようになるが、不審火で2軒の写真館を相次いで焼失し、多額の借金をかかえる。
30歳で長男ヒュー・リン・ケイシー(341)が誕生する。その2年後、ケイシーは借金を完済すると、妻と子供を残して単身アラバマ州に移る。そこで出張写真業を始める。これはその頃のケイシー写真館のスタジオでの写真だと考えられている。
ケイシーの地元ホプキンスビルにクリニックを開設したウェスレー・ケッチャム医師が、ケイシーのことを医学会で報告すると、たちまち新聞がそれに飛びつき、1910年10月9日付けのニューヨーク・タイムスがケイシーの不思議な能力を大きく取り上げた。ケイシーは殺到する依頼に応えるために地元に戻り、ケッチャムとの協力の下にリーディングを仕事として始めるようになる。33歳の時であった。34歳の時、次男が生後2ヶ月で亡くなると、ガートルードが当時の不治の病であった結核に冒される。なす術のない医者達は、最後の望みにリーディングを取るようにケイシーに勧め、ガートルードはリーディングの勧める治療法により奇跡的に生還する。
ケッチャムがリーディングを利用してギャンブルで金儲けをしていたことを知ったケイシーは、ケッチャムとの契約を破棄して単身アラバマ州セルマに移り住み、写真業を始める。ほどなく妻と子供をセルマに呼び寄せる。ケイシーは地元の教会にすぐに溶け込み、その卓越した聖書理解により、ケイシーは聖書勉強会のリーダーとなる。これはその頃の勉強会の写真。
6歳になる長男ヒュー・リン・ケイシーが写真のフラッシュで目に大火傷を負い、医者から片目を生かすために、もう一方の目を切除する必要があると言われるが、リーディングの勧める治療によって両目とも回復する。ケイシー自身、自分のリーディング能力に自信を持つようになる。ケイシー37歳のことである。
波乱の多い人生の中で、もっとも平穏であったセルマでの一コマ。ケイシー40歳、ガートルード37歳の頃の写真。二人の表情から充実した人生が伺えるようである。
三男のエドガー・エバンス・ケイシー(487)が誕生する。エドガー・ケイシーはいつも子供に特別の愛情を注いだが、41歳のケイシーに、わが子はことさら愛おしく感じられたはずである。
ケイシー45歳の時の家族写真。この翌年から、ケイシー一家は大きく展開する運命に翻弄されていくことになる。